東京地方裁判所 昭和27年(ワ)569号 判決
原告 三浦広吉
被告 渡辺亀吉
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告は、原告に対し東京都文京区柳町十番地所在木造ブリキ葺二階建住居一棟建坪六坪一合三勺、二階五坪二合五勺を明け渡し、且つ、昭和二十六年六月一日から昭和二十七年十一月三十日に至るまで一ケ月金七百円、同年十二月一日からみぎ明渡済に至るまで一ケ月金千五百四十七円五十六銭の各割合による金員を支払え、訴訟費用は、被告の負担とするとの判決を求め、請求原因として、原告は、その所有の右請求の趣旨に述べた家屋を昭和二十三年ごろから被告に対し賃料一ケ月金七百円、期間の定めなく賃貸していたところ被告は、昭和二十六年六月分から十二月分までの賃料を延滞した。そこで、原告は、被告に対し、昭和二十七年一月二十四日附、同月二十五日到達の書面をもつてみぎ延滞賃料合計四千九百円を書面到達の日から三日以内に支払うよう催告し、右期間内に支払なき時は、本件家屋の賃貸借契約が解除となる旨の意思表示をなした。しかるに、被告はみぎ催告期間に延滞賃料の支払をなさないので、本件家屋の賃貸借契約は同月二十八日をもつて解除されたものである。よつて、原告は、みぎ賃貸借契約の終了を理由として、被告に対し前記家屋の明渡を求めると共に、昭和二十六年六月一日から昭和二十七年一月二十八日までは、賃料として、同年同月二十九日から同年十一月三十日までは、みぎ約定賃料相当の損害金として一ケ月金七百円、同年十二月一日からみぎ明渡済に至るまでは、統制令の改正にともなう新家賃(二千四百三十七円)及び地代(百十円五十六銭)合計額相当の損害金として、一ケ月金千五百四十七円五十六銭の各割合による金員の支払を求めるため本訴に及んだと述べ、被告の抗弁事実中、被告が、かつて本件家屋の所有者であつたこと、被告が失踪したこと及び被告の妻秋江が、その主張通りの供託をなし、原告がその旨の通知を受けたことを認めその余を全部否認した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁として被告が、本件家屋をその所有者である原告からその主張通りの約定で賃借したこと、原告主張通りの賃料の延滞があつたこと、及び原告からその主張の書面が被告方に到達したことは何れもこれを認めるが、被告は、すでに書面到達の前である同月二十一日に失踪しているため、意思表示が被告に到達しているとはいえず、従つてその効力を生じない。その余の事実は全部否認すると述べ、抗弁として、仮りに、みぎ意思表示が被告に到達しているとしても、本件家屋は、もと被告の所有で、これを昭和二十三年原告に対し売り渡すに当り、右賃貸借契約を締結したが、同時に、原告は、被告に対し、被告が居住する間は絶対にこれが明渡を申し出でない旨特約しているので、右解除の効力は生じない。また被告方の生計が、その事業の失敗から極度に窮迫するに至つたため、賃料の延滞を余儀なくされたのであるが、昭和二十七年一月二十一日被告が突然失踪するに至るや、原告は隣家にあつて、それを知りながら、敢えて被告方の窮状につけこんで前述の催告後三日以内の延滞賃料の支払を申し入れたものである。しかも、右賃料は、被告方では、すでに、被告から支払済のものとばかり思つていたが、被告の妻秋江は、とにかく、直ちに、原告に対し、金二千円を提供し、残額については二、三日の猶予を乞うて誠意を示したのに拘らず、原告は、これが受領を拒絶したものである。その後被告の妻は、みぎ滞納家賃及び各月分の賃料を供託し、その旨原告に通知したのに、原告は、なお明渡を求めて止まない。しかしながら、右の様な催告期間は適当なものでなく、無効の催告であるばかりでなく、被告側の窮状につけこみ、家屋の明渡を迫ろうとする原告の契約解除は、信義に反し、権利の濫用と言うべきであるから無効である。なお、金員請求のうち賃料請求の点は、前記供託によりすでに債務が消滅し、損害金請求の点は、被告がなお賃借権を有するから理由がないと述べた。<立証省略>
三、理 由
原告が、その主張の家屋は昭和二十三年ごろから被告に対し、賃料一ケ月金七百円で期間の定めなく賃貸していること、被告は昭和二十六年六月分から十二月分までの賃料を延滞したこと、またみぎ延滞賃料の支払を求め、到達後三日以内に支払いなき場合それを停止条件として契約解除となる意思表示を内容とする原告から被告宛の書面が昭和二十七年一月二十五日に被告方に到達したことは、何れも当事者間に争いがない。
被告は、みぎ意思表示が、当時すでに失踪していた被告に対しては到達したことにならないと主張し、被告法定代理人の尋問結果から、被告がみぎ到達時に、不在であつたことは認められるが、その当時すでに、被告が失踪し、当分帰来の見込がなかつた点の証拠のない限り、同居の妻が受領した時意思表示は被告に到達したと認定するのを相当とする。
また、本件家屋の賃貸借契約に際し、原告は、被告が居住する以上は絶対にその明渡を求めない旨の特約があつたと主張するも、かかる特約を認めることのできる証拠はない。
そこで右契約解除が果して有効か否かを考察する。
まず、原告が被告の失踪を知り、その窮状を見ながら、右催告をなすに至つたことを認めるに足る証拠はない。しかし、その成立に争いのない乙第一号証ないし第十七号証並びに証人渡辺てる子、会田登喜枝の各証言、同三浦清子の証言(一部)被告法定代理人尋問の結果を綜合すると、本件家屋は、もと被告の所有に属したが、原告がこれを被告から買い受けて後、前示賃貸借契約がなされたこと、被告方では被告の事業失敗により生計が窮迫し、被告は、昭和二十七年一月二十一日ごろから行方不明となつていること、被告の失踪が明かとなると、忽ち被告の債権者らがおしよせ、被告方のものを処分し、被告方は、当時苦境の底にあつたこと、このような事情のもとで、同月二十五日前記賃料催告があつたこと、被告の妻秋江は、右賃料は、すでに被告本人から支払済になつているとばかり思つていたが、早速、これが工面にとりかかり、その催告期間を過ぐる三日目の昭和二十七年一月三十一日の夜まず、一ケ月分だけを原告に持参し、みぎの事情を述べて了解を求め、かつ、残額については暫時の猶予を乞うたこと。原告はその受領及び猶予を拒絶したこと、そこで被告の妻は、数回にわたり同年五月六日までに前記延滞分を供託し、その後の各月分の約定賃料額をほぼ延滞のないように供託していることが認められる。
そうすると、本件賃貸借契約の履行は、被告の失踪により、被告の妻秋江がその衝に当るが、同女はこれが履行の誠意、ひいては、その賃料支払の能力において、明かに被告に優るものであるうえ、右解除が、被告方の前示の通りの特殊事情を無視して主張されていることや、現下都内における深刻な住宅難を併せ考えると、原告が本件賃貸借契約をさらに継続しがたいものとして、その解除を主張することは、むしろ、右解除権の乱用と解すべきで、前示解除は、その効果を生じないものと認めるを相当とする。
従つて原告の本件賃貸借の終了を前提とする家屋明渡請求は棄却を免かれない。
また、原告の賃料請求部分については、被告の妻秋江がすでに供託済であることは前認定の通りであり、右供託が、弁済に代り、原告の賃料債権を消滅せしめることは前認定から明白であり、さらに、原告が右解除発効後の損害金として請求する分は、右解除の失当なことから、その理由を欠き、これら請求も、また棄却をまぬがれない。
したがつて原告の請求は、全部失当としてこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。
(裁判官 西岡悌次)